*帰命* まっさらな自分に立ち返る |
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〜11月号〜 |
苦 | 仏教を一言で表すならば「苦」だと思います。 お釈迦様は生老病死の四苦に気づき出家し、悟り、そして説法も「一切皆苦」という第 一の聖諦(しょうたい・聖なる真理)から始まります。また、死ぬ直前、苦・執・滅・道 という四聖諦(ししょうたい)の理解を弟子たちに確認し、苦の元であるこの身体を喜ん で捨てて死んで行ったと伝えられています。 まず、四聖諦とはなにか? その第一番が「苦」ですが、「苦」とは「苦しみ」というよりも「ものたりなさ」です 。生きていれば、どうしても「ものたりない」という思いがついてきます。 第二番はその「苦」の原因である「執着」です。「ものたりない」と思うのは、そもそ も「ものたりよう(楽になりたい)」という思いがあるからです。「ものたりよう」とい う思いさえなければ、人生もそれほど「ものたりなく」なくなります。 ここに第三番目の「滅」の聖諦が成立します。「ものたりよう」という思いを手放せば 、「ものたりない」という思いも自然に消えてしまいます。 しかし、これは単なる理屈ではなく、我々が毎日生きている、この24時間の生活のな かで実践していかなければならないというのは第四番の「道」です。 省略すれば、人間はみな「ものたりよう・楽になりたい」と頑張っているからこそ、「 ものたりない」気持ちになります。そうではなく、人間の頑張りを止め、実生活の中で思 いの手放しの道を歩むことは、そのまま仏の道を歩むことです。 | というのは、四聖諦の分
かりやすい説明ではないかと思います。
ところが、ここに大きな落とし穴があります。 「仏の道を歩んで、『楽になりたい』という思いを手放しさえすれば、人生の『苦』は 消え、毎日楽しく暮らしていけるはずだ」という思いです。つまり、「楽になりたい」と いう思いを手放せば、本当に「楽」になれるというのですが、やはり「楽になるため」に 思いを手放そうとしているのですから、これはもうはや「思いの手放し」ではなく、執着 にほかなりません。思いを手放すというのは、楽になるためにするものではありません。 「楽になろう」という思いを手放すこと自体が「思いの手放し」ですから。 一番最初に「仏教を一言でいえば『苦』だ」といったのも、そのためです。 仏教でいう「解脱」などは、「苦」から離れることではなく、むしろ「苦」に限りなく 親しんで行き、「苦」そのものになることです。「苦・執・滅・道」はみな「苦」に終始 しています。ですから、「ものたりよう・楽になりたい」という思いを手放すことは、つ まり「苦・ものたりない」現実を抱き、「苦」の方からも抱かれることです。そうすれば 「苦しい」という「わたし」もなくなれば、この架空の「わたし」を苦しめていた対象な どもなくなります。あるのは「苦」だけ、現実だけです。 今回は「苦、苦、苦」で多少暗かったでしょうか。では、次号は「天国」の話にしまし ょう。
(堂頭)
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** 続々悲劇のヒロイン** | |
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開けて以来まわりに散々外せと言われつづけてきた。ピアスしたのは二年前の六月だっ たと思う。毎日が退屈で退屈で仕方がなかった私は、自分を傷つけることで生きている安 心感や快楽を得ていた。両親は私のへそになんかようわからん金属が突き刺さっているの を見て私を叱ったり嘆いたりしていた。友人は興味を示しながらもそんなことようするわ ーみたいな感じで私のへそを眺めていた。みんなそろって痛かったやろーと言っていたが 耳に既に七つの穴が開いていたので気にもならず、むしろ快感であった。何でか知らない が、私はすごくピアスをすることに執着してきたような気がする。ピアスをいっぱいして たら遊んでるとか根拠のない固定観念がすごく嫌で体にブスブス穴を開けてきた。今では ただの陥没した穴にすぎないが。母親は私の体に増えてゆく穴を発見するたびにいかに人間 の第一印象は大切か言って聞かせようとしてきたが、そんなことよりも大事なことがある と思ってきた。人間外見よりも中身である。人間はいろんな面を持っているのだから。世 間体、外見、肩書など分かりやすいものばかりを気にしてたって仕方ない。かといって私 のように穴の開いたしましまズボンから毛糸のパンツを見せて寺のなかをうろうろするの も考えものである。無方さんは本気で私のことで頭を悩ませているようだ。嗚呼かわいそ うに・・・こういうことを言ってきたものの、ここ安泰寺で私は一体何をしたいのか全く 分からない。迷える子ブタちゃんである。何を目的に生きているのか、自分はどうしたい のかさえ見失っている。人間中身だと言いつつ、当の本人は外見も中身もないのだ。困っ たもんだ。山が紅葉で美しくなってもそれにも目を向けずぼ−っとする毎日。もがいても がいて苦しいのが人生といえど、納得いかない。自分は幸せになるはずなのになんて悲劇 のヒロインになったところでどうしようもない。自分にもっと厳しくならないといけない のだろうな。大変だな。 (ともみ) |
** 永平寺の師家会に参加して** |
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永平寺と安泰寺、まさに対称的な二つのお寺。
道元禅のスタイルを部分的には厳格に行う儀式仏教的な永平寺、儀式的な部分は皆無だ けど道元がもっとも重視した坐禅ばかりしているお寺、安泰寺。 永平寺で過ごした五日間はなんか社会の流れというか、一般社会で働いていた時間の流 れがありました。食事も大量に仕入れて大量に消費する。電気、水道、ガス、エネルギー すべて大量消費、まさに都会のスピードを感じるのですが、スーパーマーケットで売って いる野菜は都会の消費者の為にむりやりスピードを上げて育てた物もありますが、安泰寺 は土を耕し、種をまいて育ち、実り、そして収穫といった事が本当に自然の流れの中で行 われ、その自然に育った米や野菜を食べて生きているわけですが、これがなんかすごく大 事だなと思いました。ないよりもどちらがより生命を感じさせる生き方か、安泰寺の時間 が自然と共存している気がしました。 しかし、永平寺の土地はやっぱり荘嚴ですね。 (熊谷十嚴) |
フェロモン |
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先日は有り難うございました。お世話になりました!!
お寺って、こわいところだと思っていたのですが、イメージが変わりました。 改めて、ホームページをとても楽しく見ています。 今度はたくさんしゃべれる期間におじゃましたいです♪ ともみさん ご飯、とてもおいしかったです♪ごちそうさま! って、言いそびれてたの。 ずーっと、とても無愛想な人だと思ってました。 でも、 でもね、 ある日、ズボンからのぞくパンツを見て、あれ?ちょっとちゃうかも・・・と安心!! 何日目かなぁ?シマシマのズボンの日・・・ フェロモンですぎでした・・・ (Y.M.) |